話し方ワンポイント ⑤

かつぜつ

☆かつぜつをよくする方法

○口や舌の筋トレをする。
○腹式呼吸で、呼吸量を増やす。
○口角をあげる。

口や舌の筋トレ

かつぜつの悪い人は、かつぜつ練習文や母音練習文で、口や舌の筋トレをしましょう。
口や舌を少しオーバーに動かして、ゆっくり、はっきり発音します。
それに、舌も、正しい位置や形があります。

これは、あくまで、かつぜつのための練習です。
実際に話すときは、口を大きく開けすぎると、発音しにくく、見た目もよくありません。

☆発音は、母音が一番重要

発音の基本は、母音「あいうえお」

日本語は、「ん」以外、すべての音が「あいうえお」の母音で終わっています。
母音は、「あいうえお」の5個しかありません。
つまり、日本語の発音は、母音が一番重要です。

口の形は、5種類しかない

日本語を発音するとき、口の形は、「あいうえお」の5種類しかありません。
この母音がきちんと出ないと、ほかの音が出ません。
だから、母音の発音がよくなると、五十音すべての発音がよくなります。

かつぜつの上達に、近道はありません。
アナウンサーの養成期間でも、毎日「あいうえお」の練習です。

☆あくびの状態で、母音の発音練習をする

あくびをすると、ノドが大きく開き、ノドの力が抜けます。
これが、発声をするときの理想的なノドの形です。
鏡を見て、母音の形をつくり、ノドはあくびの状態で、母音の発音練習をしましょう。

母音の発音練習

あいうえお
いうえおあ
うえおあい
えおあいう
おあいうえ

日本語は、子音と母音(あいうえお)からできています。
早口になると、母音が弱くなりやすいです。
母音が弱くなると、聞き取りにくくなります。

☆かつぜつが悪くなる原因

○唇や舌の筋肉が弱い。
 いつも口先だけで話したり、話すことが少ないと、唇や舌の筋肉が弱くなります。
○呼吸が浅い。
○母音の発音が正しくない。発音するときの舌の位置が違う。
○姿勢が悪い。
 姿勢は、基本的なことですが大事です。

☆かつぜつの悪い人は、舌や口の筋トレを

かつぜつの悪い人は、子供のときに、口を大きく開け、大きな声で発音したということがあまりありません。
かつぜつをよくするには、口を大きく開け、大きな声ではっきり発音する練習が必要です。

口を大きく開けて発音する練習は、かつぜつをよくするための筋トレです。
そして、舌や口がなめらかに動くようになれば、口を大きく開けなくても、正しく発音できます。

☆日本語と英語の、舌や口の使い方

日本語と英語では、舌や口の使い方が違います。

日本語
舌や口をあまり動かさなくても、発音できる。
口先だけで、発音できる。
  ↓
かつぜつが悪くなる。
口の奥がせまくなり、声が細くなる。
表情筋が弱くなり、表情が乏しくなる。

英語
舌、唇、口を活発に動かして、発音する。
  ↓
話しているだけで、舌や口の筋トレになる。

☆ラ行が滑らかになる練習

ラ行は、舌やアゴに力が入ってしまいがちです。
舌の動きが鈍い人は、アゴを動かしながら、発音することがあります。
そこで、机の上にアゴを乗せて、「ラ行」を練習します。

机の上にアゴを乗せて「ラ行」の練習

①机の上にアゴを乗せて、固定する。
②アゴを動かさないで、舌を上アゴに弾くようにして、次を発声する。

「ラララ・・・ リリリ・・・ ルルル・・・ レレレ・・・ ロロロ・・・」

舌だけが動く 〇
アゴが動く  ✕(舌の動きが鈍い)

この練習で、ラ行が滑らかになり、続けると、舌の動きがよくなります。

☆舌の動きがよくなる練習

舌の動きをチェックする方法です。
これで、はっきりと発音できれば、舌の動きがよくなり、かつぜつもよくなります。

①唇を軽く閉じ、指で唇を上下から軽くつまむ。
②口周りに力を入れずに、ア行からワ行まで発音する。

母音の発音練習で、口の形を身体に覚えさせましょう。

あいうえお いうえおあ うえおあい えおあいう おあいうえ
あいうおえ いうおえあ うおえあい おえあいう えあいうお
あいえうお いえうおあ えうおあい うおあいえ おあいえう
あいえおう いえおうあ えおうあい おうあいえ うあいえお
あいおうえ いおうえあ おうえあい うえあいお えあいおう
あいおえう いおえうあ おえうあい えうあいお うあいおえ
あういえお ういえおあ いえおあう えおあうい おあういえ
あういおえ ういおえあ いおえあう おえあうい えあういお
あうえいお うえいおあ えいおあう いおあうえ おあうえい
あうえおい うえおいあ えおいあう おいあうえ いあうえお
あうおいえ うおいえあ おいえあう いえあうお えあうおい
あうおえい うおえいあ おえいあう えいあうお いあうおえ
あえいうお えいうおあ いうおあえ うおあえい おあえいう
あえいおう えいおうあ いおうあえ おうあえい うあえいお
あえういお えういおあ ういおあえ いおあえう おあえうい
あえうおい えうおいあ うおいあえ おいあえう いあえうお
あえおいう えおいうあ おいうあえ いうあえお うあえおい
あえおうい えおういあ おういあえ ういあえお いあえおう
あおいうえ おいうえあ いうえあお うえあおい えあおいう
あおいえう おいえうあ いえうあお えうあおい うあおいえ
あおういえ おういえあ ういえあお いえあおう えあおうい
あおうえい おうえいあ うえいあお えいあおう いあおうえ
あおえいう おえいうあ えいうあお いうあおえ うあおえい
あおえうい おえういあ えういあお ういあおえ いあおえう

あめんぼ あかいな あいうえお
(水馬 赤いな あいうえお)
うきもに こえびも およいでる
(浮藻に 小蝦も 泳いでる)

かきのき くりのき かきくけこ
(柿の木 栗の木 かきくけこ)
きつつき こつこつ かれけやき
(啄木鳥 こつこつ 枯れ欅)

ささげに すをかけ さしすせそ
(大角豆に 酢をかけ さしすせそ)
そのうお あさせで さしました
(その魚 浅瀬で 刺しました)

たちましょ らっぱで たちつてと
(立ちましょ 喇叭で たちつてと)
とてとて たったと とびたった
(トテトテ タッタと 飛び立った)

なめくじ のろのろ なにぬねの
(蛞蝓 のろのろ なにぬねの)
なんどに ぬめって なにねばる
(納戸に ぬめって なにねばる)

はとぽっぽ ほろほろ はひふへほ
(鳩ポッポ ほろほろ はひふへほ)
ひなたの おへやにゃ ふえをふく
(日向の お部屋にゃ 笛を吹く)

まいまい ねじまき まみむめも
(蝸牛 ねじ巻 まみむめも)
うめのみ おちても みもしまい
(梅の実 落ちても 見もしまい)

やきぐり ゆでぐり やいゆえよ
(焼栗 ゆで栗 やいゆえよ)
やまだに ひのつく よいのいえ
(山田に 灯のつく 宵の家)

らいちょうは さむかろ らりるれろ
(雷鳥は 寒かろ らりるれろ)
れんげが さいたら るりのとり
(蓮花が 咲いたら 瑠璃の鳥)

わいわい わっしょい わいうえを
(わいわい わっしょい わゐうゑを)
うえきや いどがえ おまつりだ
(植木屋 井戸換へ お祭りだ)

寿限無 寿限無 五却のすりきれ
海砂利水魚の 水行末 雲来末 風来末
食う寝るところに住むところ やぶらこうじのぶらこうじ
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の 長助

じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ
かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ
くうねるところに すむところ やぶらこうじの ぶらこうじ
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
ちょうきゅうめいの ちょうすけ

赤パジャマ 黄パジャマ 茶パジャマ
あかぱじゃま きぱじゃま ちゃぱじゃま

赤巻き 紙青巻き紙 黄巻き紙
あかまきがみ あおまきがみ きまきがみ

アンリ・ルネ・ルノルマンの流浪者の群れ
あんり るね るのるまんの るろうしゃのむれ

歌うたいが歌うたいに来て 歌うたえと言うが 歌うたいが歌うたうだけうたい切れば 歌うたうけれども 歌うたいだけ 歌うたい切れないから 歌うたわぬ
たうたいが うたうたいにきて うたうたえというが うたうたいがうたうたうだけ うたいきれば うたうたうけれども うたうたいだけ うたうたいきれないから うたうたわぬ

裏庭には二羽 にわとりがいる
うらにわには にわ にわとりがいる

瓜売が 瓜売に来て売残し 売売帰る瓜売の声
うりうりが うり うりにきてうりのこし うりうりかえる うりうりのこえ

お綾や 母親にお謝りなさい
おあやや ははおやにおあやまりなさい

貨客船の旅客
かきゃくせんの りょかく

かえるぴょこぴょこ三ぴょこぴょこ 合わせて ぴょこぴょこ六ぴょこぴょこ
かえるぴょこぴょこみぴょこぴょこ あわせて ぴょこぴょこむぴょこぴょこ

この竹垣に竹立てかけたのは 竹立てかけたかったから 竹立てかけた
このたけがきに たけ たてかけたのは たけ たてかけたかったから たけ たてかけた

この釘は ひきぬきにくい釘だ
このくぎは ひきぬきにくい くぎだ

新設診察室視察
しんせつ しんさつしつ しさつ

書写山の社僧正
しょしゃざんのしゃそうじょう

新春シャンソンショ―
しんしゅん しゃんそんしょー

巣鴨駒込駒込巣鴨
すがも こまごめ こまごめ すがも

すももも 桃も 桃のうち
すももも ももも もものうち

生産者の申請書審査
せいさんしゃの しんせいしょ しんさ

東京特許許可局
とうきょう とっきょ きょかきょく

隣の客はよく柿食う客だ
となりのきゃくは よく かきくう きゃくだ

長町の七曲がり長い七曲がり
ながまちの ななまがり ながい ななまがり

生麦 生米 生卵
なまむぎ なまごめ なまたまご

バナナの謎は まだ謎なのだぞ
ばななの なぞは まだ なぞなのだぞ

古栗の木の古切口
ふるくりの きの ふるきりくち

ヘドロどろどろ どろどろヘドロ
へどろ どろどろ どろどろ へどろ

坊主がびょうぶに上手に坊主の絵をかいた
ぼうずが びょうぶに じょうずに ぼうずの えをかいた

拙者親方と申すは、御立会(おたちあい)の内(うち)に御存知の御方も御座りましょうが、御江戸を発って二十里上方(かみがた)、相州(そうしゅう)小田原一色町(いっしきまち)を御過ぎなされて、青物町(あおものちょう)を上りへ御出でなさるれば、欄干橋(らんかんばし)虎屋藤右衛門(とらやとうえもん)、只今では剃髪(ていはつ)致して圓斎(えんさい)と名乗りまする。

元朝(がんちょう)より大晦日(おおつごもり)まで御手に入れまする此(こ)の薬は、昔、珍の国の唐人(とうじん)外郎(ういろう)と云う人、我が朝(ちょう)へ来たり、帝(みかど)へ参内(さんだい)の折から此の薬を深く込め置き、用うる時は一粒(いちりゅう)ずつ冠(かんむり)の隙間より取り出だす。依ってその名を帝より「透頂香(とうちんこう)」と賜(たまわ)る。即ち文字には頂き・透く・香(におい)と書いて透頂香と申す。

只今は此の薬、殊の外(ことのほか)、世上(せじょう)に広まり、方々(ほうぼう)に偽看板を出だし、イヤ小田原の、灰俵(はいだわら)の、さん俵の、炭俵(すみだわら)のと色々に申せども、平仮名を以って「ういろう」と記せしは親方圓斎ばかり。

もしや御立会の内に、熱海か塔ノ沢へ湯治に御出でなさるるか、又は伊勢御参宮の折からは、必ず門違い(かどちがい)なされまするな。御上りなれば右の方、御下りなれば左側、八方が八つ棟(むね)、面(おもて)が三つ棟、玉堂造(ぎょくどうづくり)、破風(はふ)には菊に桐(きり)の薹(とう)の御紋を御赦免あって、系図正しき薬で御座る。

イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、御存知無い方には正真の胡椒の丸呑み、白河夜船(よふね)、さらば一粒食べ掛けて、その気味合いを御目(おめ)に掛けましょう。

先ず此の薬を斯様(かよう)に一粒(いちりゅう)舌の上に乗せまして、腹内(ふくない)へ納めますると、イヤどうも言えぬは、胃・心・肺・肝が健やかに成りて、薫風(くんぷう)喉(のんど)より来たり、口中(こうちゅう)微涼(びりょう)を生ずるが如し。魚(ぎょ)・鳥(ちょう)・茸(きのこ)・麺類の食い合わせ、その他万病即効在る事神の如し。

さて此の薬、第一の奇妙には、舌の廻る事が銭ごまが裸足で逃げる。ヒョッと舌が廻り出すと矢も盾も堪らぬじゃ。

そりゃそりゃそらそりゃ、廻って来たわ、廻って来るわ。アワヤ喉、サタラナ舌(ぜつ)にカ牙サ歯音(かげさしおん)、ハマの二つは唇の軽重。開合(かいごう)爽やかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ。

一つへぎへぎに、へぎ干し・はじかみ、盆豆(ぼんまめ)・盆米(ぼんごめ)・盆牛蒡(ぼんごぼう)、摘蓼(つみたで)・摘豆(つみまめ)・摘山椒(つみさんしょう)、書写山(しょしゃざん)の社僧正(しゃそうじょう)。

小米(こごめ)の生噛み(なまがみ)、小米の生噛み、こん小米のこ生噛み。繻子(しゅす)・緋繻子(ひじゅす)、繻子・繻珍(しゅちん)。

親も嘉兵衛(かへえ)、子も嘉兵衛、親嘉兵衛・子嘉兵衛、子嘉兵衛・親嘉兵衛。古栗(ふるぐり)の木の古切り口。雨合羽(あまがっぱ)か番合羽か。

貴様の脚絆(きゃはん)も革脚絆(かわぎゃはん)、我等が脚絆も革脚絆。

尻革袴(しっかわばかま)のしっ綻び(ぽころび)を、三針(みはり)針長(はりなが)にちょと縫うて、縫うてちょとぶん出せ。

河原撫子(かわらなでしこ)・野石竹(のせきちく)、野良如来(のらにょらい)、野良如来、三(み)野良如来に六(む)野良如来。

一寸(ちょっと)先の御小仏(おこぼとけ)に御蹴躓(おけつまず)きゃるな、細溝(ほそどぶ)にどじょにょろり。京の生鱈(なまだら)、奈良生真名鰹(まながつお)、ちょと四五貫目(かんめ)。

御茶(おちゃ)立(た)ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ。茶立ちょ、青竹茶筅(ちゃせん)で御茶ちゃっと立ちゃ。

来るわ来るわ何が来る、高野(こうや)の山の御杮(おこけら)小僧、狸百匹、箸百膳、天目(てんもく)百杯、棒(ぼう)八百本。

武具(ぶぐ)、馬具(ばぐ)、武具馬具、三(み)武具馬具、合わせて武具馬具、六(む)武具馬具。

菊、栗、菊栗、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。

麦、塵(ごみ)、麦塵、三麦塵、合わせて麦塵、六麦塵。

あの長押(なげし)の長薙刀(ながなぎなた)は誰(た)が長薙刀ぞ。

向こうの胡麻殻(ごまがら)は荏(え)の胡麻殻か真(ま)胡麻殻か、あれこそ本の真胡麻殻。

がらぴぃがらぴぃ風車(かざぐるま)。起きゃがれ小法師(こぼし)、起きゃがれ小法師、昨夜(ゆんべ)も溢(こぼ)してまた溢した。

たぁぷぽぽ、たぁぷぽぽ、ちりからちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ干蛸(ひいだこ)、落ちたら煮て食お。

煮ても焼いても食われぬ物は、五徳(ごとく)・鉄灸(てっきゅう)、金熊童子(かねくまどうじ)に、石熊(いしくま)・石持(いしもち)・虎熊(とらくま)・虎鱚(とらぎす)。

中でも東寺(とうじ)の羅生門(らしょうもん)には、茨木童子(いばらきどうじ)が腕栗(うでぐり)五合(ごんごう)掴(つか)んでおむしゃる、彼(か)の頼光(らいこう)の膝元(ひざもと)去らず。

鮒(ふな)・金柑(きんかん)・椎茸(しいたけ)・定めて後段(ごだん)な、蕎麦(そば)切り・素麺(そうめん)、饂飩(うどん)か愚鈍(ぐどん)な小新発知(こしんぼち)。

小棚(こだな)の小下(こした)の小桶(こおけ)に小(こ)味噌が小(こ)有るぞ、小杓子(こしゃくし)小持って小掬(すく)って小寄こせ。

おっと合点(がてん)だ、心得(こころえ)田圃(たんぼ)の川崎・神奈川・程ヶ谷(ほどがや)・戸塚は走って行けば、灸(やいと)を擦り剥く(すりむく)三里ばかりか、藤沢・平塚・大磯(おおいそ)がしや、小磯(こいそ)の宿(しゅく)を七つ起きして、早天(そうてん)早々(そうそう)、相州小田原、透頂香。隠れ御座(ござ)らぬ貴賎群衆(きせんぐんじゅ)の、花の御江戸の花ういろう。

アレあの花を見て、御心(おこころ)を御和(おやわ)らぎやと言う、産子(うぶこ)・這子(はうこ)に至るまで、此の外郎の御評判、御存じ無いとは申されまいまいつぶり、角(つの)出せ棒出せぼうぼう眉(まゆ)に、臼杵(うすきね)擂鉢(すりばち)ばちばち桑原(ぐわら)桑原桑原と、羽目(はめ)を外して今日(こんにち)御出(おい)での何茂様(いずれもさま)に、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息せい引っ張り、東方世界の薬の元締(もとじめ)、薬師如来(やくしにょらい)も照覧(しょうらん)あれと、ホホ敬って外郎はいらっしゃりませぬか。

 一

 ある日のことでございます。お釈迦様(しゃかさま)は極楽(ごくらく)の蓮池(はすいけ)のふちを、ひとりでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮(はす)の花は、みんな玉(たま)のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、なんとも言えないよい匂(におい)が、絶間(たえま)なくあたりへあふれております。極楽はちょうど朝なのでございましょう。

 やがてお釈迦様はその池のふちにおたたずみになって、水の面(おもて)をおおっている蓮の葉の間から、ふと下のようすをご覧になりました。この極楽の蓮池の下は、ちょうど地獄の底に当っておりますから、水晶(すいしょう)のような水を透(す)きとおして、三途(さんず)の河(かわ)や針の山のけしきが、ちょうどのぞきめがねを見るように、はっきりと見えるのでございます。

 するとその地獄の底に、犍陀多(かんだた)と云(い)う男が一人、ほかの罪人(ざいにん)といっしょにうごめいている姿が、お眼に止まりました。この犍陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事(あくじ)を働いた大どろぼうでございますが、それでもたった一つ、よいことをいたした覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛(くも)が一匹、路(みち)ばたをはって行くのが見えました。そこで犍陀多はさっそく足をあげて、踏み殺そうといたしましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命をむやみにとるということは、いくらなんでもかわいそうだ」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。

 お釈迦様は地獄のようすをご覧になりながら、この犍陀多には蜘蛛(くも)を助けたことがあるのをお思い出しになりました。そうしてそれだけのよいことをした報い(むくい)には、できるなら、この男を地獄から救い出してやろうとお考えになりました。幸(さいわ)い、そばを見ますと、翡翠(ひすい)のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけております。お釈迦様はその蜘蛛の糸をそっとお手にお取りになって、玉のような白蓮(しらはす)の間から、はるか下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下(おおろ)しなさいました。

 二

 こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人といっしょに、浮いたり沈んだりしていた犍陀多(かんだた)でございます。なにしろどちらを見ても、まっ暗(くら)で、たまにそのくら暗(やみ)からぼんやり浮き上がっているものがあると思いますと、それは恐ろしい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。その上あたりは墓(はか)の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものといっては、ただ罪人がつくかすかな嘆息(たんそく)ばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄の責苦(せめく)に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大どろぼうの犍陀多も、やはり血の池の血にむせびながら、まるで死にかかった蛙(かわず)のように、ただもがいてばかりおりました。

 ところがある時のことでございます。何気(なにげ)なく犍陀多が頭をあげて、血の池の空をながめますと、そのひっそりとした暗(やみ)の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へたれて参るのではございませんか。犍陀多はこれを見ると、思わず手を拍(う)って喜びました。この糸にすがりついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違(そうい)ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいることさえもできましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられることもなくなれば、血の池に沈められることもあるはずはございません。

 こう思いましたから犍陀多は、さっそくその蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、いっしょうけんめいに上へ上へとたぐりのぼり始めました。もとより大どろぼうのことでございますから、こういうことには昔から、慣れ切っているのでございます。 

 しかし地獄と極楽との間は、何万里(なんまんり)となくございますから、いくらあせってみたところで、容易(ようい)に上へは出られません。ややしばらくのぼるうちに、とうとう犍陀多もくたびれて、もう一(ひと)たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこでしかたがございませんから、まず一(ひと)休み休むつもりで、糸の中途(ちゅうと)にぶらさがりながら、はるかに目の下を見おろしました。

 すると、いっしょうけんめいにのぼった甲斐(かい)があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれております。それからあのぼんやり光っている恐ろしい針の山も、足の下になってしまいました。この分(ぶん)でのぼって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外(ぞんがい)わけがないかもしれません。犍陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出したことのない声で、「しめた。しめた」と笑いました。ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方(ほう)には、数限(かずかぎ)りもない罪人たちが、自分ののぼったあとをつけて、まるで蟻(あり)の行列のように、やはり上へ上へ一心(いっしん)によじのぼって来るではございませんか。犍陀多はこれを見ると、驚いたのと恐ろしいのとで、しばらくはただ、ばかのように大きな口をあいたまま、眼ばかり動かしておりました。自分一人でさえ断(き)れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数(にんず)の重みに堪(た)えることができましょう。もし万一途中で断れたといたしましたら、せっかくここへまでのぼって来たこのかんじんな自分までも、もとの地獄へさか落としに落ちてしまわなければなりません。そんなことがあったら、大変でございます。が、そういううちにも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよとはい上がって、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今のうちにどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。

 そこで犍陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちはいったい誰に尋(き)いて、のぼって来た。おりろ。おりろ。」とわめきました。

 そのとたんでございます。今までなんともなかった蜘蛛の糸が、急に犍陀多のぶらさがっている所から、ぷつりと音を立てて断れました。ですから犍陀多もたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽(こま)のようにくるくるまわりながら、見る見るうちに暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。

 あとにはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短くたれているばかりでございます。

 三

 お釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終(しじゅう)をじっと見ていらっしゃいましたが、やがて犍陀多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、またぶらぶらお歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、犍陀多の無慈悲(むじひ)な心が、そうしてその心相当な罰(ばつ)をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、お釈迦様のお目から見ると、あさましく思し召(おぼしめ)されたのでございましょう。

 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんなことにはとんじゃくいたしません。その玉(たま)のような白い花は、お釈迦様の御足(おみあし)のまわりに、ゆらゆら萼(うてな)を動かして、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、なんとも云えないよい匂(におい)が、絶間(たえま)なくあたりへあふれております。極楽ももう午(ひる)に近くなったのでございましょう。


PAGE TOP